私は社会人になってから本を読む習慣がついた珍しいタイプだ。
読むジャンルは絞らずにできるだけいろんな本を読むように意識している。
そんな感じで手にした本が「自叙伝 蝶野正洋」だ。
本の中で、あの有名な「時は来た。それだけだ」について語っているので紹介したい。
時は来た。それだけだの真相
「時は来た。それだけだ」は雨トークのプロレス芸人で紹介されてたこともあり、わりとプロレスに詳しくない人にも浸透しているネタである。
あの頃のプロレスは今ほどエンターテインメント色が強くなく、ガチンコの匂いを漂わせていたこともあり、ちょっとしたお笑い要素(本人たちは真剣)が魅力の一つとなっていた。
時は1990年、第二回東京ドーム大会でのこと。
蝶野は橋本信也とタッグを組み、アントニオ猪木と坂口征二組と対戦する。
猪木と坂口は年齢的に衰えてきたとはいえまだまだ団体のトップ。
試合はメインで組まれていたこともあり、楽屋にいた蝶野は気合が入っていた。
プロレスラーなるもの、試合前のマイクパフォーマンスは非常に大事だ。
対戦相手を煽り、客を盛り上げる必要があるからだ。
しかしこの日の試合前インタビューはなぜか格上の猪木・坂口組から始まった。
この猪木にインタビューした映像もけっこう有名でレポーターが「もし負けるということがあるとこれは勝負の時の運という言葉では済まないことになりますが?」と猪木に問いかける。
これに対し猪木は「出る前に負けること考えるバカいるかよ!!」と言ってレポーターにビンタするのである。
猪木の名言炸裂に焦ったのが蝶野・橋本組だった。
猪木以上のパフォーマンスをしなければいけないと感じた蝶野は橋本と相談する。
蝶野自身は海外でマイクパフォーマンスをさんざん経験していたことから盛り上げる自信はあったらしい。
が、そこに橋本が「俺に任せてくれ!!バッチリ決めてやる」と豪語してきたのだ。
その自信に満ちたセリフから蝶野は橋本にマイクパフォーマンスを託したのである。
その後の様子を蝶野は著書でこのように語っている。
最初にレポーターからマイクを向けられた俺は、短めにスパッと決めた。
蝶野正洋 自叙伝 P125、126
「蝶野選手、どう戦いますか?」
「潰すよ、今日は。オラ! よく見とけよ、オラ!」
マイクが橋本選手に向けられた。
「そして橋本選手、いかがですか?」
ブッチャー、名調子を頼むぞ。インパクトのある演説を打ってくれ!
「時は来た。それだけだ」
え?終わり?それだけで終わり?マジかよ?
あまりのことに俺は吹き出しそうになってしまった。
それを隠すため、カメラに背を向けて笑いを押し殺した。
マイクパフォーマンスは失敗に終わってしまったのである。
そして試合の結果も猪木・坂口組に完敗。
ちなみにこの第二回東京ドーム大会では猪木のパフォーマンスで初めて「アレ」が誕生した日でもある。
「ご唱和ください。1,2,3ダー!!」
やはり猪木は役者が違うと思う蝶野であった。
他にも面白い内容が詰まった黒のカリスマの自叙伝を読んでみてはいかがでしょうか?